倫理デバイス 作者解説+α 

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倫理デバイスの作者解説を行おうと思う。

まず、不可能性は消えない。

もしも俺が解説しなかったらしなかったで作者性の問題という不可能性がある。作者が何を考えているのか分からないという奴だ。(解説の文章にもその都度このスケールが考えられるという話を今回は切断する)好意的な読み手が巷に席巻すれば神と崇められ、否定的な読み手が多くなればそのようになるアレ。抽象的な文章というのは得てしてこのようになる。例えばボカロ曲の歌詞とか。曲調やキャラクターでその曲を好きになれば意味不明な、どうとでも取れる歌詞にも無限の意味が乗る、否、”乗らせざるを得ない状況になる”し、機械音だ意味不明だと感じる層にはそれこそ意味不明な塊のまま。

特に、カゲプロはそういうコンテンツだと思っている。カゲプロは”具体的な供給を渋り続けたらもっと強いコンテンツになっていた”というのは俺の持論だ。雰囲気に惚れたファンは、何も与えなくても無限に意味を読み込んでしまうものなのだ。俺はメカクシティアクターズという供給ですっかり醒めてしまった。目が醒めた。奇しくもエネの能力、作中のキャラクターの能力に開眼したとたんに興味を失ったわけだ。カゲプロの話を続けるとお気持ち表明・ステイトメントに着々と引き摺られそうなのでこのぐらいにしておく……あ、ちなみに失礼/かつ無知を承知で言うが、ぱっと見エヴァはこれで成功し続けているコンテンツに見える ※これ=圧倒的な良い雰囲気と、謎を謎のまま残すという戦略

そりゃあ俺もできることならば神格化されたい。全人類に俺の存在を認知させたいみたいな方向性の人種ではあると自覚(自嘲?)しているが、まあ今回は何か、手法、思考回路を公開しようと思い至った。理由?任意の解釈をどうぞ。

なので(いないとは思うが)作者の解説という権威さえも拒否する、読み手中心主義の極致、一種のデリダ性みたいなものが強い人間、もしくは、俺を倫理デバイスを好意的に解釈し続けて俺を神に仕立て上げたい人間は、この記事を読むことはあまりお勧めできないかもしれない。

これは直感なんだが、後者=神格化解釈マンがいるとして、俺のオリジナルの考え方の方が多分お前より面白そうだとは思うが。それでは始める。

まずこの小説は、”FHS”というものである。倫理デバイスにはっ付けてある、noteでほぼ俺しか使ってないFHSというタグの存在を気味悪く思って調べた人もいるかもしれないが、まあFHS(Filesystem Hierarchy Standard)の方にぶち当たり、なんのこっちゃと挫折して終わりだろう。

それもそのはず、俺の言うFHSとは科学外(世界の)
フィクション(fiction (des mondes) hors-science, FHS)とかいう検索しても数十件しかヒットしないようなクソマイナーな概念で、カンタン・メイヤスーという哲学者が提唱した概念である。難しいので詳しくは説明しないが、簡単に言うと、”意味不明になった世界のフィクション”である。少々文章を引用すると

【FHS の典型的作品としてはルネ・バルジャヴェルの小説『荒廃』が挙げられており、そこでは突如として電気がなくなった世界についての出来事が、何の説明も与えられないままひたすらに叙述されていく。しかしながら、FHS は難しい企てであり、SF に何らかの形で常に回収される可能性がある。『荒廃』においてもそこでは電気を含め様々な事実をもとにして考えられており、そうならないために完全な恣意性に基づけば、それはランダムな羅列からなるナンセンスな文字列になりかねず、そのような不安定さは作品から作品であることの条件を失わせるかもしれない。しかし、メイヤスーは FHS に対して可能性を見ている。「窒息するほどまでに推し進められる形相変化、経験=実験不可能な世界における自我の経験。脆弱な強度は、その純粋な孤独に果てなく沈潜し、瓦礫の山以外のいかなる環境もないそこで、世界なき存在の真実を探求するでしょう」】

まあ要するに、倫理デバイスというのはすごく未来の、FHSになった世界において、何もかも意味不明で支離滅裂な世界で、とある主体がもがく話なのだ。自分には理解もできないスピードで、良く分からない、自分に及ばないという事だけが感覚できるような圧倒的な”外部”が、ただひたすらに発達していく。それは地獄か、はたまた救いか……

レベル1:これが簡単な世界観の説明である。

が、しかし、俺はこのようなプロットを予め用意して倫理デバイスを書いたわけではない。俺の性格上、プロットを書くことはあるものの、そのような作品が形になったことは本当に少ない。例えば、

超能力者が現れ、世界国家が数学者、物理学者、生物学者、医学者などを集めてメカニズムを解明しようとする会議を行うことになる。。そこで一人の重役の強烈なプッシュにより”一応呼んどいてやる”みたいな枠で”哲学者”が呼ばれることになり、その哲学者の考察、苦悩を描く話。「思考がわかるって…………どういう形式で?文章?それとも感覚?てかそれが可能ってこの世の構成要素として”これ”がある、と……?」「例えば火を出す、と思ったら火が出るんだろうけど、なんで数ある想定しうる火の内、出てくるのがそういう形をした、”その”火なのかって説明できる?」:無題

や、バイト中に急に視界が真っ暗になり、その真っ暗闇に定期的に”びっくりフラッシュ”が流れるという”主体”になってしまった”俺”が、(イメージしにくいかもしれないが、当然肉体などもない。本当に”思考ができる、定期的にびっくりフラッシュが目の前に流れるだけになった”人間の話とか。はじめは絶望のみをしており、びっくりフラッシュに毎回心を痛めていたが、数千回繰り返せばもはや何も感じなくなり、関心が例えばバイトしていた自分はどうなったのか、もしかしたら俺の”体”は、端から見れば”いつもと変わらないように見えている”のではないか、元々、例えば俺の親なども実は俺みたいに”こう”なっているのだけれど、そう周りからは見えないように”肉”が動いていただけなのかもしれない、などの哲学的な思考にシフトしていく。そんな環境でまともにできる娯楽ぐらいと言ったら哲学ぐらいだったのだ。はじめは何回も飽き足らず幻肢を動かそうとしたものの、その内体がない自分にも慣れ、幻肢に回した思考領域が全て思考に割り当てられた位から彼の哲学は極端にレベルが上がり始める。やがてクオリアは実在と解釈系の相互作用であると思い至った彼は、びっくりフラッシュを”消し”、さらには昔の生活を取り戻すためにこの”暗闇”を”かつての生活”に”解釈”していくことを決意する……:最悪

まああまりネタをつぶしたくないのでこの位にしておくが、他にも割とある。構想が先にある作品というのは割とある。しかしそれで書ききることができた作品、マジでない気がする。書くことを決めて書くというのは非常にストレスのかかる作業であり、テーマが何となく決まっている程度ならいいものの、”こういう場面に持っていかなければいけない”、時、わりと執筆はストレスフルになる。んでやめる。こんなに面白い話がたくさんあるのに……このようなものとは対照的に、倫理デバイスは”何となく思いついた景観、思想、哲学などを一応、自分なりには物語の体裁を採ったまま文章化していく”内に”テーマとかが決まっていったものである、要するにフィードバック。計画してそれを書くのではなく、まず書いて、それが計画を構成していく。その計画も気分によってどんどん変遷していく。こういうスタイルが本当に俺は楽しく、楽しく、楽しい。脱中心化された、リゾーム的な執筆。即興の、推敲を伴わない、思考の連打としての執筆……俺はこれはもはや趣味でできる。逆に”面白そうな展開”なんて楽しみという観点ではむしろ思いつかない方がいいのだ。”こうした方が受けるんだろうな、でもその展開に持っていくの怠いな……でもやっぱその展開にしたい”みたいな感じになって、怠くなり、モチベが死に筆を止めてしまうことは割とよくある。まあとにかく俺はそんな感じで、そのひたすらに”流れ”で書いた文章の、それに呼応するような意識の流れで”FHS”っぽいものを書こうという考えががぼんやりと浮かんでい”た”、と自分で”解釈している”だけである、要するに俺も、作者ではないのかもしれない。

前提を終了し、ここからは具体的に”どういう思考回路であの文章が出来上がるのか”言い方を変えて”解説”をやっていく。

【ある日、実名・実名が思いがけない死後硬直で目を覚まし、おもむろに幻肢を伸ばし幸福を厭わないメンタリティで細切れになった精神を繋げられている、という私の情景が頭に浮かぶ。】 

解説:まず文体は”カフカ/変身”をイメージ。死んでも死なないのは近未来の基本であり、死後硬直というのはこの主人公の時代では現代的ではない、何らかの別の意味を指す言葉に変化しているのが見て取れる。(主体の語りが存在する以上は、間違いなく現代的な意味では生きているのだから!)おもむろに幻肢を~はまあFHSになるほどの未来なわけだしもはや肉とかはないでしょ、って意味での、”幻肢”。しかしさっきの論理(時代によって使い方が変わる)を適用するならば、プログラムだろうと何だろうと、普段使っている”体”を幻肢とは呼ばなくなっているだろう、という話ができるな、と思った。死後硬直が主人公の用法で幻肢が”俺たち視点”での幻肢なのは明らかにおかしいかもな、自分がぼんやり書きながら考えていた設定に自分で穴を見つけてしまった。(文学研究者さん達、作者ってこういうことしますからね?)

まぁもっと言うと、別に誤っていても構わない。というかそれこそがリアリティーっぽくかつ俺は面白い形相を醸し出すと思っている。内言語が完璧に、しかもFHS世界内において矛盾も交錯もしない人間などいるだろうか。あそこで累乗ならまだしも係累すると書くのは極めて怪しいが、俺が描写してるのはマジで”そいつ”なのだから、それで構わない。しかしこのようにガチで定量的なものを全部退けると、俺の文章が、無数の機械でも作れるただのカオスと区別不能になってしまわないか?それでいい。”原理的にただの意味不明文”と区別がつかないことはむしろある種のスタートラインといってもいい。全ては定性的で、何かしら型を身につければ安心できる、評価されると言う世界観の方も歪んでいる。

もちろんこちら側も歪んでいるのだが、そちら側の歪みの方はこちら側よりも無批判に許されすぎていると俺は感じなくもない。

幸福を厭わない~頭に浮かぶ。:普通に幸福=意味が分かる世界になっててもいいんですよ?みたいな感じのメンタリティで起床。細切れになった精神というのは、こう実体概念的なものを外部性に感じさせられるみたいな意味合いなんだけど、まあここは難しいし全部解説すんのはキリが無いのでやめておく。ノリで、頭に浮かぶ、というところでメタになる。これまで感じていたもの、”が実は考えていたことだった”、この程度の意味不明さはFHSには付き物。うん、これも良く分かんないと思う。もしどうしても気になる部分があるなら訊きにこればよい。(twitter:@egzctiiion)

てか書いてて思ったけどこれ分量やばいことになるな。ちょっと面白そうなとこだけ選びます。割愛します

【時代背景によって変動するところの”目”を用いて、“見ようと思えばどのようにも見ることができる”自分の部屋に意識を向ける。】

恐らく人間は無限月読(見たいものを好きに見る。VRの延長、滑らかな世界とその敵のアレ。)みたいなことをセルフで出来るようになっている。=“見ようと思えばどのようにも見ることができる”自分の部屋に意識を向ける。だがしかし多分完全に自由にできるようにはなっていない。そんなことが可能になるのはクソヤバイインフラのお陰だろうし、そのインフラはやばすぎて理解不能な形で多分干渉してくる。恐らく何でも見ていいが見ている内容の監視もされているだろう。しかしそれは俺的にはジョージオーウェルの1984ほどの悲観的なディストピアという訳でもなく、なんというか”当然技術的に可能になっているし、いつでも”何でも好きに見る機能”をインフラ側は取り払えるが、そもそもインフラが個人に目を向けることなんてほとんどない。みたいな感じ。生殺与奪の権は外部に常にある(まあそのことすらも主人公は確固たる証拠があって思っているわけではないのだが。個人にはもはや何の説明も与えられない。あるとしても断片的なもので意味不明すぎるFHS世界に対して至極有効であるようなものは散見されない、的な)まあ生活してれば何とかビッグブラザーどころの騒ぎではない”外部”があるのは馬鹿でも分かる。ただ繰り返すが、めちゃくちゃ圧政という訳でもない。辛辣になれるほど一人一人に関心を向けるような世ではない、というのが正しいか。

時代背景によって変動するところの”目”というのは、まあ、君たち=読者が思っているような”目”ではとうにないけれど、的な意味合いだ(超未来の話なので)

【終日、意識を保っていることとしての人である俺、同一律の最たる例である、時代背景が全く関係ない(!)悩みとともに泣きわめく。どこからともないがしかし、間違いなく付き纏われている”ソレ”が認識の隅に皆目の窓辺よりチラチラ傍目から俺の逆さまに、ギリギリ見える範囲のみでの跳梁跋扈を遂行する。ベッドに寝そべりながら宙吊りにされるような感覚。平衡感覚もそうだし、精神感覚こそまさにそれである。きっと私はこの後一層あからさまに宙吊りにされ、非倫理者としての呼称を全うすることになるのであろう。

一向に構わない。】

終日、意識を保っていることとしての人である俺、同一律の最たる例である、時代背景が全く関係ない(!)悩みとともに泣きわめく。:簡単に言うと、クオリアの問題は未だに解決されてませんよ、という事。

どこからともないがしかし、間違いなく付き纏われている”ソレ”が認識の隅に皆目の窓辺よりチラチラ傍目から俺の逆さまに、ギリギリ見える範囲のみでの跳梁跋扈を遂行する。:簡単に言うと、倫理デバイスに常に付きまとわれているという事を自覚する。でおk。ただ絶妙なニュアンスを感じ取ってほしくはある。

ベッドに寝そべりながら宙吊りにされるような感覚。平衡感覚もそうだし、精神感覚こそまさにそれである。:ベッドに寝そべっているが、この後倫理デバイスに咎められると思うと気が滅入る。宙吊り=倫理デバイスに対象化されている的な意味合い。勿論比喩だが、俺は頭の中で宙吊りにされ、倫理デバイスに尋問されるような想像をし、感覚もそれに呼応する。=平衡感覚もそうだし。

そしてこれはもともと精神世界の話なのだから、精神感覚こそ”まさにそれ”なのは当然の事である。=精神感覚こそまさにそれである。

きっと私はこの後一層あからさまに宙吊りにされ、非倫理者としての呼称を全うすることになるのであろう。:まあでも未だに倫理デバイスの尋問が”始まってはいない”のだから、今後一層この意味で宙づりになるのは当然。そして非倫理者としての呼称を全うすることになるのだろう。

一向に構わない:諦めて開き直る。ええいままよ!

え、なっっが。ちょっと前編中編後編に分けるわ。

これマジで考えながら書いてたん?後付けじゃなくて?という質問に関しては、自分でもグレー、って感じ。でもこの辺に関しては特にマジでこう考えながら書いてた気がする。わりと自信があって意味を持たせてたところだけ次からはピックアップしてやっていくわ、ってことで中編に続く。

追記:意味を込めてるこういう難解な文章と意味を込めてない文章があって、例えば倫理デバイス、事象に、事象に以下略、金玉を保管するべきなどには意味を込めてる(この中で金玉はちょっとグレーゾーン)

そんで、周縁寄生虫、俺たちは毎日いるブツブツギリギリと再びとかは、基本意味を込めてない。まぁ、外部からは判別不可能だったりするのかもだが。

この前者は”文章”タグで、後者は”ワードサラダ”タグで纏めようと思う。

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