倫理デバイス

文章

ある日、実名・実名が思いがけない死後硬直で目を覚まし、おもむろに幻肢を伸ばし幸福を厭わないメンタリティで細切れになった精神を繋げられている、という私の情景が頭に浮かぶ。カーテンやカーテン以外から差し込む光の総量やそれ以外などの形を取って日常性をリアルに形作っていく。睡眠から係累する非現実リアリティーへの移行に、が、て、とにかく、さて今日はどのような目覚めだろうか?

時代背景によって変動するところの”目”を用いて、“見ようと思えばどのようにも見ることができる”自分の部屋に意識を向ける。

「……?」

暫時エラーで停止し、適宜エラーを起こす事を改めて認識した。ジリジリと焼き切られる脳細胞のようなものが導き出した結論から述べよう。

そこにはただの”やむを得ない”が散乱していた。

……時には自らねぐらを焼き払うことも厭わないし、時にはというか時”が”それを許すだけなのだろうが……とにかく今はそのような事を言っている場合ではないということがわかる。終日、意識を保っていることとしての人である俺、同一律の最たる例である、時代背景が全く関係ない(!)悩みとともに泣きわめく。どこからともないがしかし、間違いなく付き纏われている”ソレ”が認識の隅に皆目の窓辺よりチラチラ傍目から俺の逆さまに、ギリギリ見える範囲のみでの跳梁跋扈を遂行する。ベッドに寝そべりながら宙吊りにされるような感覚。平衡感覚もそうだし、精神感覚こそまさにそれである。きっと私はこの後一層あからさまに宙吊りにされ、非倫理者としての呼称を全うすることになるのであろう。

一向に構わない。

とにかくタロットカードの吊り人に、殺害現場における配慮のような布を被せられたみたいなシンボル化がなされたことをちょうどいいと感じた俺は、払わなくてもいい布団を払い、自らの生活態度を露骨に重ね塗りすると同時に、反作用的なもののみに留まらない重ね塗りし損ねる感覚を覚えた。

普通に見えている(あなた方の寝室をイメージしてもらって構わない)部屋にて起き上がり、意識的に望まずとも、任意の位置に移動する(自らの)頭を掻き毟りながら、ある種トテモわざとらしく、しらじらしく面倒くせえ。とボソボソ揺蕩う私を、どうか実行系と解釈系などの古き価値観でも何でもいいから、とにかく分類して見せてほしい……

とにかく死体が俺の部屋に三十余人いるわけだが(自分含め)それら全員を生き返らせるのは容易い。あまりに。まぁ言うならばクエストを受注して、採取して納品するぐらいのめんどくささだろうか。今時アスクレピオスの真似事はアーム・やABC一杯分の値段でできてしまう訳だ。

「……起きる」

信じられないぐらいに重さのない腰を精神的重荷と共に持ち上げる。

ちょうどそのぐらいの時間で同時に、比喩的な意味でのレバーも持ち上がるので、まぁ問題なく全員生き返った。勿論双方の間に会話はない。あるはずもない。会話もないし認識もない、万物万象わが手中にあり!これで一安心……とはいかないのが現代人、否、現代の性である。その現代性の最たる具体例よ、認識の隅とは言え、隅を動き回りすぎて額縁のようにまで主張を強められると、それは薄々感づいていると言う表現でいいのか不安になるが、とにかくソレはそう、もはや当たり屋が道具に使うぐらいには立派な額縁になっていたし、耐えかねたような風貌でその後すぐに飛び出してきた。勿論飛び出し方も”好きに見る”ことができるが、まぁ大枠の意味は変わらないような視界にしている。

これは、俺の希望だ。

その俺の希望が何をしたいのかは俺自身さっぱりわからんのだが、今回はたまたま近未来的な女性AIのような風貌を持ってして現れるソレ、

“倫理デバイス”が火を噴く。

しっかしなんなんだ、ここまでランダムに立ち現れると、深層心理がどうとかいって今後の思索を全て適当に終わらせたくなる気がする。いやそうでもないか。

倫理デバイスが口を開くが、視覚的要素はこの際オマケみたいなものだ。何も考えず享受していると負けた気がしてくるので、いちいち自覚してやる。

「逆、逆事件と同様、また随分と勝手にやってくれましたね」

生意気さを煮詰めて一応薄めましたよ、みたいな顔で声を”する” ……ふむ、やはりこのようにさえ”思う”ことも可能であることを確認する。どのパターンでやっても大体できてしまうようだ。顔で声をするなんて意味不明だが、そう思うことが、可能……

「うるせえ、あれは仕方なくないかもだが、今回は仕方ねえだろ!だって起きたら!……起きたら死んでただけだ。」

そんな思索とは裏腹にただの返答を追加する。

「それにな、……あのな、あのな、何回も言っておくが、そもそもあそこで生き返らせない方が俺は楽なんだぜ?俺は。こうしてクソったれた通告なんて受けずに済むんだからな!それでも生き返らせてる分マシだろうが!もう今度説教しやがったらマジで生き返らせねえからな!」

倫理デバイスはすぐに答えられるのに、すぐさま全てを冷却し、あらゆる移動を可能にするのにこいつは!いつも少し間を置いた後に話し始める。

「私たちは一人でも救えるならば救います。たまたま選ばれなかった人間は理不尽だ、などの問題については、あまり問題視しておりません」

「ケッ!逆も然りってか」

「あえて皆まで言いますが、そうです。可能ならば取締ります。不平等なことは百も承知です。そのような細かい倫理ではなく、私たちが目指しているのはあくまで公益ですので」

倫理デバイスは認識に沿って綺麗に分割された笑みを浮かべる。俺は背中に”隠し持っていなかった”ワイングラスを倫理デバイスのアバターに向ける。狙うは頭部、速すぎず、遅すぎない速度、それ以外の二項対立もすべて出来る限り適切にセッティングして投擲。すかさず、倫理デバイスは避ける間も、頭部もなくして避ける。避けなくともそれはあらゆる意味ですり抜けるだろうに、わざわざ。

しかしその上で、俺は意味のない二段構えをしている。今に(無意味を)見てろよ、と心臓の鼓動を感じていた。ここまでは平和だったのだが、あろうことかあらゆる意味ですり抜けることがあたわず、当然部分的な意味ですり抜けたワイングラスは、倫理デバイス後方壁にぶち当たり、そのまま重力に従わず、”壁に張り付いては継続的に砕け散り続ける”。

いや、これは聞いてない!

思いがけない機能も実装してしまっていたかのようないつものアレなのだろうか。不発か否かとは関係ないのだろうか…..?一抹の不安と、絶えず心象風景を絵画としてシンボル化してしまう自らの浅はかさを呪う。ちなみに重力が機能しない事に関してだが、このような意味不明、意味不明?まぁ意味不明なことは最近よくあることなので気にしない。比喩ではなく、本当に。

「最小単位が」

「うるせえ!お前がしたい話はもーーう大体予測がつく。既に音がしないとか、意外とすぐに音がしなくなるとかそういう話だろ?そしてこれからお前が俺の聴覚を壁に陥れているという説明を本題の前にどうせ挟むんだろ!?」

俺は脈動し波打つことのない血管でも充分なのだな、と三度息を上げる。……このゼイゼイと俺が震えるのが……のが!単なる主観の内だけであればどれほど良かったか!最近の不快感の内輪ノリが手招き、ニヤニヤとした擬物法にて脳髄中空に甘える……そんな色仕掛けに俺は屈しない!畜生!誰が、一体誰が”世界の方が揺れている”などと思いたいのであろうか。今となっては”これ”を望んだ自分の思考が信じられない。自意識と世界の同化を望んだ実存趣味の、蓋然趣味の、かつての、自分が。

「……」

ふと目を上げると、思惑通りの無意味が遂行されていた。ワイングラスから伸びるまぁ、昔風に言うとペイントツールのようなもので塗りつぶしを行っただけの、乳白色のバカでかい鈍角三角形が倫理デバイスのちょうど右目辺りを貫通している。それも思惑よりも数本多い形で。倫理デバイスは当然と言えば当然だが、貫通を気にする様子もない。そもそも気にするのなら避けてい……否、避けてはいないか。しっかしこうして、ワイングラスによって前衛的になった倫理デバイスを眺めていると、一矢報いるどころかむしろ、威圧感を高める結果となったことに気付き閉口する。

「……いつから私があなたに仕えていると思っているのですか」

守られる必要のない長い沈黙が破られることは重要だが、破るのがどちらかはこの際関係がない。

今回はたまたま破られた側である。答えるか答えないか迷ったが、どちらを取ろうと不快になるのは目に見えている。.ならばせめて自発的な方を選ぼうと、ここを許可制の自意識-年輪とする。”自発的なものを選ぶこととする”というこれが自発的なものだと数年前の91号:連絡事項にも確か書いてあるはずだ。

「……生まれる前から、だろ?」

倫理デバイスは一呼吸置いて答える。

「まぁ細かいかもしれませんが、その言語化さえも正しくはありませんね。あなた方の”生まれる前”という形容は時間や、時間以外の全てを網羅できていませんから。ですので正確には、生まれる前全域よりも遥かに昔から、となります。」

俺は幾度となくため息をつく。五感を超えてn感みたいな話をこうも当然のようにされると、こちらとしては限界という他ない。

「はいはい……」

俺はジト目に”なる”。

「どうせ、どうせ俺はただの人間ですから、卑近な意味で”それ以前に”と使わせていただきますよ。…………それ以前になぁ!やっぱ色々納得行ってねえんだよ!俺が視覚設定を少しずらしていりゃあ死体も見えてねえ、その程度の話なんだろ?なんでその”視界を”確認するなんて芸当が可能で、かつなんでそれに良い悪いなんて話がー

「とりあえず」

逆・逆事件

そいつは全てを逆にすることができた。それはある種の、示唆的な意味での我々の敵であり、時代錯誤の突発悟性を発現させるとか、とにかくそういうレベルですべからず敵であった。

実戦が開始し間もなく、俺は驚異のレベルでの真逆さを思い知る。例えば床に取り××れた、聞き取れる部分と聞き取れなかった部分が逆、という文章の読める部分と読めなかった部分が逆にされ、ニャンニャンワンワンワンワンなどの堅牢さを以ってして俺は非道く不満足を覚えなかった。5種類の属性石をはめ込むことにより力を発揮する伝説の剣を俺は持っていたが、それも勿論、石をはめ込む部分(空洞)と空洞以外の部分(文字通り)が逆になっていた。これでは石をはめ込むことは叶わない。(空洞になっていないので) 勿論”勝負”などというものはとうの昔に意味を失っている。だってそこまで昔の話ではないから。要するに、お互いがお互いを(思い)殺ろうと思えばいつでも再起不能にできる状況であった。

しかし俺は勝った。

勿論殺されそうになったから殺したに過ぎないし、すぐに相手も生き返るし、なんなら双方、特筆するほど死んではいないのだが。

しかもそれは確かに、確かに誰しもなんだかんだONにしている機能の暴発に過ぎず、俺は特別暴発するような何かに巻き込まれたむしろ不運な人間でしかない。

———

「たしかに貴方は不運ですが、しかしそれが、試験管・ベイビーや男女同権などの古典的な倫理とはまるでレベルが違う、生命の根幹に関わる倫理的問題であり、単に不運なだけとはいえ、単なる不運で済ますことは出来ないことも事実です。」

倫理デバイスは、先ほどとは対照的(物理かつ対面)な性質を帯びて視界の中を今度は自由に飛び回る。

それに構わず俺は脳内言語に仮想的な空間を作ることに専念し、確率的に成功することを確認、パーセンテージのご丁寧なUIに向かって(その空間に向かって、とほぼ同義だ)向かって唾を2、3滴飛ばしながら言う。

「このご時世、潜在的な無限人ぐらいを除いてあとは誰も説明責任なんて求めやしないのに、なんで俺を槍玉にあげるかね……」

鏡面と寸分違わず同一にした非対称性にて撹拌したJKロオイルを一つづつストローで食いながら、ピアノ鍵盤のみで構成された町を押し歩く。管理教育の守護者たる倫理デバイスは、ピアノ以外の妖精のような風貌で町中を飛び回っている。勿論町の全域は俺の視界には収まらないが、妖精は常に視界に入れている。勿論、妖精は本当に町中を飛び回っている。勿論俺は妖精を常に視界に入れている。

「不運だけで看過できないことは確かです」

こう、空間は当然の如くステレオ音源だな、としみじみ感じる。

「じゃあこれからは必ず同じことを二回言い続けろ、そして終いにはマリアの円光になり、さながら着脱可能な全てになれ。分かったか?」

「それを言うなら貴方だって。自分一人+他人五人がこのままだとトロッコに轢かれて死にます。レバーを引くとそれらは助かります。という問題があったらどうするんですか?」

俺は路地裏や栞などに組み込まれながら(端的な表現:イライラしながら)言葉を返す。

「あのなぁ、なんでこのご時世にさらに簡単になったトロッコ問題を出題するんだ?絶望感の虜か?え?」

「……もう片方のレーンには貴方が複数人いるかもですし、レーンは複数人かもしれませんよ」

こいつと話しているとたまに、クオリティの低いn段バケツを思い出した時のような気分になる、その気分よそに、無限に続くトロッコ問題とともに俺は単なる偶然、永久に回れる町を回っている。偶然だとは思えないだろうか?……片方が無限にできるからといってもう片方が無限に続かなければ、それで終わり。なんならそれこそがよく有るパターンなのだが、(基本的に有限性、もう少し進んで資源の話になる)まぁ当然重なることもあろう。木を見て木を見ずであることもあろう。(一人称)は細部に気が向いていないので、事実細部は無いこの町に引き回され、続いて前提知識として殺されているはトロッコ問題の市中引き回しヴァージョン。これは具体例に過ぎない。だって、少なくとも歩きながら有限オーダーで思いつくようなことは全部同時に行われているのだ。……顔を下げ、ピアノのロンゴミニアド部分を歩きながら、今後の御光めいたもの全般を憂いた。ともにトロッコに轢かれた人間と助けられた人間は無限人へシフトし、轢き歩きながら自然文学をここらに残留し確定せしめるは罪なのだろうか?俺は狙って和音だけを踏み抜いていた膝をつき、立ち止まり、決して無関係ではないピアノ線が思想と、倫理デバイスの匙加減と、差延に巻き取られて収束していく様を、姦しく見上げる。

「こうして、こうして黒鍵の写真的性質を批評できる時間より」

倫理デバイスがトロッコ問題を計算しつくす時間の方がどうやら、短い。

一般に、無くす為には大体二種類の方法がある。

それは限りなく減らすか、限りなく増やすか。前者は論理的に難しく、後者は技術的に不可能だった。

不可能だった。

技術の問題は技術の問題の域を出ない。

俺は歩く。もう情景が異なるのに有るく。今度は線状痕の踊り場に住んでいる俺が映る。俺が移る。今後も寝たり、曲がったり、化学たりするだろう。俺はそれでも構わない。可能性としての飛沫を感じる。感じているだけで、結局無限の実践の連続に、さながら後解釈的な単一宇宙にさえ俺は耐えられないだろう。

でもそれでも構わない。

脳内や補集合の外部、煙幕のような雨が降りつつ煙幕も豊富な浮遊/舞台/煙幕などの隙間を縫ったり未払いを交差させたりして、多種多様な並行世界のルールを闊歩し循環させていく。それはそう!

現に今!有限の文章で再現されているように!

従って、初めから一切厭わないのは不可抗力な陳腐さである。それは従来理念的に全てに付き纏っている類の可能性であったが、

人類はそれをリアルに実感せざるをえないところまで、

どうやら。

「倫理というのは、形式的な操作のことです」

ああそれも構わない。 全てが移り変わるのも構わない。構わなくないことも構わない。

俺と倫理デバイスを同時に轢き殺す何かが、ここにはある。

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